現実的か。

核兵器禁止条約について何かが論ぜられるとき、必ずこの語が登場する。

「この武器、未来永劫、禁止な!」

この約束は、常に破られてきたというのが人間の血の歴史なのだろう。ずるくなくては、私たち集団は生き残ってこられなかった。

核兵器には、形がある。触れられるものの現実感に、触れられないもの、言葉は、どう立ち向かうのか。太平洋にケンカをふっかける裸足の少年のように、苦戦は必定だ。笑う者もいる。

概念が、足りていない。まだ見つかっていない、あの単語が、鍵になるのだ。

2020年10月25日、核兵器禁止条約の発効が、決まった。

言葉を信じすぎても馬鹿を見るが、言葉を信じなければ、どこにも到達しない。

「核の傘」だって存在しない。一滴の雨をもしのげない傘で、この身の安全を守っている、とはどういう状態なのか。米国は義理で核戦争をするだろうか。義理は英語で何というのか。

信じるべき言葉の選択を誤っている。

「唯一の戦争被爆国として私たちは…」ここまではいい。しかしこの後に続く言葉はいつもテキトーだ。しゃべりながら着地点を探す、中学生の読書感想文のようにテキトーだ。

「私たちは…」何なのか。

選挙の争点は、郵便局の看板の変更でもなければ携帯電話料金の引き下げ指令でもないはずだ。

私は核兵器を否定する。