しかし、先生の授業はそれでは終わらなかったのだ。

私は、学校をサボった翌日などに、よく先生の部屋に個人的に呼び出されていて、そこではいつもこう言われていた。

男ひとり生きていくのはそんなに甘いもんじゃないぞ。好きなことだけをやっていられるわけじゃない。

一方の普段の言はこちらだ。「迎合するな。考えろ。自分の道を行け」

この二つは、どうもベクトルが異なるようだ。もっと言えば矛盾している。キライなことでも、生活の為にしなければならないことは、多々ある…。それは、先生が批判する、自分を切り売りすることとは違うのですか…?

二つが、先生の同じ口から発せられる。

二つの板挟み、二つの折り合いに、その後私は、永年、思い悩むことになるわけだが、

先生は、飄々と、私たちを卒業させ、また次の15才たちの青白い顔を見渡しに、去っていかれたのだ。

全部言った。あとはお前が生きて考えろ。

とでも言うように。

今の私はこう考える。この矛盾、この二面性こそが、生きることの厚みであり、味なのだ。

忍ぶようなにじむような労働の汗。ほとばしるような己が熱意だけの汗。いずれもが輝き得る。迎合も適応も大して変わらない。夢だけが美しいのではない。迷えるうちが華。こうでなければ、つまらない。